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30年前にもあった山口組分裂 25人死亡した「山一抗争」とは?

      2017/01/12

山一抗争

山口組では1984年に一和会が分裂し、山口組と一和会との間で「山一抗争」という激しい対立に発展

山口組が分裂すると報道されました。
警察が警戒しているのは、過去に分裂した時に25人が死亡、約70人が負傷した「山一抗争」のような激しい争いがあるのではないかと推測しているからです。

竹中正久組長射殺事件

竹中正久組長射殺事件で容疑者を立ち会わせて行われた事件現場マンションの実況見分 撮影日:1985年02月14日(C)時事通信社

現在の分裂の様子

現在、山口組は構成員や準構成員などを含む2万3000人が所属する国内最大の暴力団組織ですが、組から離脱を試みた関西を中心とした傘下の13の団体の組長が「絶縁」や「破門」の処分を受けたと報道されています。
理由としては組織に納める上納金が高額であることへの不満が原因のようです。
現在の山口組の母体は名古屋市に本部がある「弘道会」で、構成員がおよそ1000人。
離脱しようとする動きをみせて絶縁された神戸市に本部がある「山健組」は、構成員がおよそ2000人。山健組と弘道会が2大派閥とされています。

警察が把握している構成員の勢力人数は弘道会」を中心とした山口組がおよそ7000人、絶縁された「山健組」など関西を中心とした13団体がおよそ3300人で、そのうちどれくらいの人数が本当に離脱するのかは把握できていないようです。
また、新しい組織の名前は、「神戸山口組」になるのではないかと予想されています。

山一抗争とは

山一抗争の始まりは、山口組織を全国に拡大していった田岡一雄・3代目組長が1981年に死亡したことから始まります。
田岡一雄が死亡し、竹中正久組長を後継の4代目組長と正式に決めましたが、これを不満とする勢力が決定を拒否して分離し「一和会」を名乗ったことで抗争に発展。
竹中正久の山口組四代目組長就任式に、山本広を支持する直系組長は出席せず、記者会見を行って就任に反対を表明し、これで分裂が決定的となります。

山口組襲名式の竹中組長

山口組襲名式は、7月10日に徳島県鳴門市の「観光ホテル鳴門」で執り行なわれました。

竹中組長、銃殺

和歌山県串本町の賭場で、山口組松山組岸根組・岸根敏春組長が、一和会坂井組串本支部若頭補佐・潮崎進を刺殺。

報復として1985年1月26日、竹中正久組長は、中山と山口組南組・南力組長とともに「GSハイム第二江坂」の1階エレベーター前で田辺・長尾・立花に銃撃されました。
竹中正久は銃弾3発を受けながら車を運転して南組事務所へ到着しましたが、翌日に死亡しました。

最後は稲川会と会津小鉄会による仲裁で抗争が終結されましたが、この抗争で一和会側に死者19人、負傷者49人、山口組側に死者10人負傷者17人、警察官・市民に負傷者4人を出す、最大の暴力団抗争となりました。

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